「物理学とは何だろうか」朝永振一郎(岩波新書)

物理学とは何だろうか〈上〉 (岩波新書) 物理学とは何だろうか〈下〉 (岩波新書 黄版 86)

■概要
ノーベル物理学賞受賞者、朝永振一郎による物理学史の一般向け概説。
物理学の成立から発展の歴史をふまえ、物理学、ひいては科学一般の性質について考察。
第一章:占星術と密接な関連を持って生まれた天文学が、地動説の登場とケプラーの三法則の発見を経て、脱神秘化していく過程を辿る。そして、これらの天文学の発展が、最終的にニュートン力学の成立による天上と地上の法則の統合に結実するまでの歴史を追う。
おまけに科学と宗教の問題や、錬金術と化学の関係にも少し触れている。
第二章:技術の進歩と物理学の発展は相補うものであることの説明から始まり、ワットによる蒸気機関の改良から、カルノーによる熱の考察、熱力学の成立とエントロピーという概念の発見にまで至る熱の研究を紹介。
第三章:熱ってそもそも何?という疑問から近代原子論が成立するまでを描き、更に確率論を通じて熱の分子運動論がどのように構築されていくかをマックスウェル、ボルツマンとマッハの対立を軸にして考察する。
講演「科学と文明」:科学の歴史をざっとおさらいしたうえで、科学の進歩の利益と害悪について考察。科学と道徳について。さらに科学の方向性としてより巨視的なレベルでの法則化に期待。例としてプレートテクトニクス理論など。

■覚書
●本書における物理学の定義及び成立時期:「われわれをとりかこむ自然界に生起するもろもろの現象―ただし主として無生物にかんするもの―の奥に存在する法則を、観察事実に依りどころを求めつつ追求すること。」十六世紀から十七世紀にかけてのヨーロッパで成立。上巻p5,6

●「哲学は目の前にたえず開かれている最も巨大な書、すなわち宇宙の中に書かれているのです。…その書は数学の言語で書かれており、その文字は三角形、円、その他の幾何学的図形であって、これらの手段が無ければ、人間の力ではその言葉を理解できないのです。」―ガリレオ 上巻p83

●直接人間が観察できる地球の自転の証明:フーコー振り子、黒潮、台風のうずまき運動。上巻pp102-103

●私が物理ゲームのルールとして「観察事実に依りどころを求めつつ自然の法則を追求する」と言ったとき、「観察事実から出発して」とは言っていないのは、われわれは必ずしも全くの白紙状態で観察や実験を始めるわけではないからです。よく行われることですが何か一つの考えが先にあり、それに依りどころを与えようとして観察や実験を行うこともありますし、またそれは当然でもあるのです。下巻p6*1

●その存在は直接目には見えなくても、原子論に依りどころを与える多くの実験事実の存在が知られるにつれ、原子論が思弁的であるという反対論のほうがかえって思弁の産物に過ぎなかったことを自然自体が明らかにしてくれたのです。何が思弁的であり、なにがそうでないかを決めること自体、思弁だけによって行うことはできず、自然の中にその依りどころを求めねばならなかったのです。下巻p22

ニュートン力学によれば、自然が物体の運動について規制するのは運動形態それ自体ではなく運動形態の変化である。従って、ある時刻の物体の位置と速度が与えられれば、その後の運動形態は一意的に決定される。下巻p39

●「運動エネルギーに関する等分配法則」によって計算された物質の比熱が実測値と合致しないことが十九世紀末に発見され、これがニュートン力学への疑義となり、量子力学の発見に繋がっていく。下巻p131

■雑感
本格的な科学哲学の勉強の前提として大まかな物理学史を押さえておきたいと思って買ったもの。この手の一般向け物理学史としては有名なのかな。
個人的にボルツマンとマッハの対立が実在に関する認識論的な対立として捉えることが出来て面白かった。当たり前なのだろうけど、物理学内部でもかなり激しい対立があることを再認識させられた。この対立こそ普遍性というものを生み出す原動力なのでしょうけど。
あんまり数式は出てこないが、高校程度の数学をおさらいしておくと熱力学についての記述の一部が読みやすいかも。面倒ならやらなくてもいいけどね。

*1:仮説演繹法のことだね。