「疑似科学と科学の哲学」伊勢田哲治(名古屋大学出版会)

疑似科学と科学の哲学

疑似科学と科学の哲学

■概要
科学と疑似科学の線引き問題を通して科学という人間の営みをを科学足らしめる性質を探る書。創造科学や超心理学代替医療など一般に疑似科学と目される議論における様々なイシューを取り上げ、それらを科学哲学上の問題と絡めて説明している。

■覚書
●哲学の問題領域の分類 pp2-3*1
論理学:推論規則などに関する探求。
認識論:世界に関する知識とは何か、またはそれをいかにして得るかに関する探求。
形而上学:事物の本質に関する探求。
価値理論:当為や価値判断に関する探求。

●『功なり名を遂げた自然科学者がこういう原理的な問題ばかり扱いはじめると「あの人も若い頃はすごかったのに耄碌して哲学なんかやるようになっちゃあもう終わりだねえ」と陰口を叩かれることになる。』p3*2

●進化論の一般社会における受容はヨーロッパや日本では比較的簡単に進んだが、アメリカにおいては一般市民には懐疑的に受け取られた。p14

●科学哲学者マイケル・ルースの線引き基準*3 *4:1)自然法則の探求、2)自然法則による経験的な世界の説明、3)経験的な証拠と比較されテストされること、4)反証不能ではない、5)理論は一時的なものであり、理論に反する証拠が挙がってきた場合には、理論を変える余地があること。p18

数学的帰納法自然数はある規則性に従うことが定義によりあらかじめ決められているので、観察に頼る必要が無い。このことから数学的帰納法は通常の帰納法とは異なる厳密な証明として働く。pp34-35

●方法論的反証主義反証可能性を仮説の支持者の「科学的態度の評価」の線引きとして使う立場。ポパー本人は反証主義の一般的理解とは異なりこの立場を採用していたとされる。p49

●過小決定:観察によって仮説が決定されないという考え方。例えば、とある仮説を反証する経験事実が観察された場合に仮説そのものを修正するのではなく観察者の実験技術の巧拙に関する補助仮説を修正するというように、後付けの修正によって仮説と観察結果のつじつま合わせが可能になったりする。このことから観察結果によって仮説を反証することへの疑問が生まれた。いわゆる「デュエム=クワインテーゼ」。pp54-55

理論負荷性:観察用語や観察自体の内容が観察者の持つ理論によって予期された通りにバイアスがかかり得ることを示す概念。pp76-78

●通約不可能性:観察の理論負荷性などから来る理論間の翻訳不可能性のこと。pp78-79

●通常科学(normal science):クーンのパラダイム論において安定期の科学の営みとされるもの。当該パラダイムにおける理論の精緻化、特に「アノマリ」と呼ばれるパラダイムと矛盾するかに見える事象のパズル解決がすすめられる。p81

パラダイム間の比較基準:一般に相対主義的と見られがちなパラダイム論に関してクーン本人の提出したパラダイムの合理的な選択基準。すなわち、1)実験や観察との一致、2)内部の無矛盾性および確立された他の理論との整合性、3)応用範囲の広さ、4)単純性、5)豊穣性 p85

●リサーチプログラム論:科学哲学者イムレ・ラカトシュの提唱したパラダイム論の改良案。クーンの言うパラダイムをリサーチプログラムと名付け、その内容を「固い核」と「防御帯」に分解。リサーチプログラムにとって不利な反証は主に防御帯の変更によって対処される。リサーチプログラム自体の選択基準としては防御帯の変更が「新奇な予言」に繋がるかどうかで決まる。pp97-100

●リサーチトラディション論:科学哲学者ラリー・ラウダンの提唱したリサーチプログラムの発展型。リサーチプログラムをラカトシュの言う「固い核」にあたる部分によって構成されるリサーチトラディションと捉える。リサーチトラディション自体の評価基準としては経験的な実証性の問題と理論内部での整合性の二つの問題をどれぐらい解決していけるかで判断する。pp100-104

●査読制論文誌の整備など、制度の洗練という観点から言えば超心理学は他の科学分野と遜色の無いレベルにまで達してきていることを紹介。p110

●CSICOP(the Committee for the Scientific Investigation of Claims of the Paranormal):科学者や文筆家、奇術師などが参加する超常現象を科学的に調査する団体。アメリカの反疑似科学運動の総本山みたいな機関。同様の団体として日本には「ジャパン・スケプティックス」がある。p111

●『あまり前進しているように見えないのは確かだが、良心的な超心理学研究者はラインやソールらの初期の実験が失敗だったことを認めて、コンピュータを使った洗練された実験へ移行している。実験の方法や分析の仕方の洗練ということでいうと、始終批判の目にさらされていることもあって、超心理学は社会・行動科学のある種の分野よりはよほど洗練されてきている』p136*5

●介入実在論:人間が操作したり介入したりできるものは実在するとの立場。悲観的帰納法への対抗論。p142

●生まれてすぐの幼児はかなり強力な反実在論者であることを紹介。例えば物陰に隠れて見えなくなったものは存在しなくなったと考えるし、偶然的規則性と因果的規則性を区別しないらしい。しかし世界に対する介入*6を繰り返して次第に実在論者となっていく。p144

ベイズ主義:推定統計学の一派。確率というものを「主観的」に捉え「信念の度合い」として解釈する立場。このベイズ主義が「主観的」であるというのはどういう意味で「主観的」なのかについては、「ベイズ主義の主観性と客観性」p243を参照。簡単に言うと我々が認識している仮説に関する背景情報というのは主観的に限定されているとしても、その背景情報から仮説をどの程度信頼すべきかは十分合理的に決定できると言うこと。*7 *8

■雑感
科学哲学の勉強をしながらいわゆるトンデモ系にも詳しくなれる、なんというか実践的な入門書。
最終的に科学と疑似科学の線引き問題を線を引かずに解決するというアプローチには共感する。関連してベイズ主義を基盤にした「程度」思考の話は非常に面白かった。一般に科学的な記述は定性的なものから定量的なものへと洗練されていくべきだと思うが、「程度」思考というのはまさに定量的記述への転換のことじゃないだろうかと素人ながらに思った。つまり、ものごとの質の違いにこだわるのではなく色々な事象を同じ物差しの上に置いた上でそれぞれの違いを数量的に表現するのが洗練された科学思考なのだと思う。
3/1追記:書き忘れたけど、いわゆる「反証主義」の有用性についてページが割かれている。ネットでは疑似科学と関連して反証主義を持ってくる人が多いように見受けられるけど、この本では今「線引き問題」で反証主義を持ち出すのはかなり「筋が悪い」理由を説明しているのでそこらへん興味ある方は読んでおくべき。*9

*1:著者も本文中で指摘しているが哲学と言う分野は、そもそも何を持って「哲学」とするかという基本的な事項ですら見解の一致が困難な領域である。それって要するに哲学という分野には学問的業績というものが無(ry。

*2:ワロタ

*3:アーカンソー州において1981年に成立した、学校教育で創造科学と進化科学を平等に扱うことを定めた法律の違憲訴訟での証言から。

*4:この線引き基準自体は科学哲学史上既に不十分であると示されたものが多く、ラウダン等によって痛烈に批判される。

*5:ある種の分野ってどこですか?(笑

*6:例えばものをぽんぽん投げてみるなど。

*7:個人的にベイズ主義は受け入れやすい議論だった。なんでかと思ったら、僕は基本的にネット上の情報に関しては(に限らずか。)裏付けが無いかぎり信用の無いものとして扱うのだけれど「嘘を嘘と見抜けない人は(ry」、あとでその情報が真実だとわかっても情報の出てきた当時の判断としては信用ならないものとするのが適切だったと割り切っているからだった。つまり、背景情報から仮説の信頼性を判断するという態度が身に付いていたからだと思う。

*8:このメモをまとめるのに色々調べたのだが、ベイズ主義に関する分かりやすいネットリソースが全然ないので困った。大体なんでド素人の僕がベイズのキーワードを作らなきゃならんのだ。統計方面の方見てたら修正お願いします。

*9:ただし科学の必要条件として反証可能性を挙げるのは良いと思うよ。