「系統樹思考の世界」三中信宏(講談社現代新書)

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

概要

生命がいかなる進化の経路を辿ってきたのかを視覚的に記述した図として「系統樹」というものがある。生物の教科書には載っていることもあるのであれかと気づく人も多いだろう。生物学、特に進化と関わる分野ではなじみ深い概念だが、必ずしも生物学の専売特許の手法という訳ではない。例えば今この文章が書かれている文字。これには歴史的に様々なフォントが存在してきたわけだが、それらは相互に無関係に発展してきたのではなく、いくつものフォントが影響し合い、一つのフォントが更なる別のフォントに分化することで生まれてきた。これらも系統樹によってその「進化」の過程を記述することが可能だ。「系統樹」とは言わば系統推定の学において共通に見られる推論形式を視覚化したものなのだ。そしてそのような広い意味での「進化」を見る視点、筆者はそれらをまとめて「系統樹思考」と呼ぶ。
系統樹という記述形式は何らかの事物が歴史的にどのような変遷を辿ってきたかを復元することでもあるのだが、これは要するに一種の歴史学でもある。しかしながら典型的な自然科学の基準*1から言えば歴史は科学ではない。歴史とは過去に起きた一回限りの出来事の記述だからだ。これは普遍性を求める典型的な自然科学とは相性が悪い。
しかしながら筆者はこの結論に異を唱える。もちろん進化論のもっとも基礎的な部分である自然淘汰や中立進化説などについてはテスト可能な普遍理論として一般化ができる。ところが系統推定のような過去の復元については典型的な自然科学の基準から外れてしまうからだ。そこで筆者は歴史が経験的にテスト可能な「科学」としてあり得るかについて検討していく。それは科学としての歴史の復権の試みでもある。
さて、そのような科学としての歴史を語る上で恐らく最も重要なのが、推論の一形式としての「アブダクション」だろう。「科学哲学の冒険」の読書メモで前にも書いたので省いて説明するが、推論の形式として代表的なものには「演繹」と「帰納」のふたつがある。前者は三段論法に代表される推論形式であり、後者は多くの異なる出来事から類似の性質を見いだし、一般的な命題として抽象化するものだ。両者は歴史的に科学的推論の典型と見なされてきたが、科学の現場では必ずしもこのような論理学的に仮説の真偽を判定するようなことが行われているわけではない。むしろ、対立する仮説群の相対的な比較として科学という営みは行われていると筆者は述べる。
そこで取り上げられるのが第三の推論形式としての「アブダクション」である。*2アブダクションとは、あるデータ群に対してそれらを説明する複数の仮説が存在する場合に、対立する仮説の中でより良い説明ができる仮説をデータからの「経験的支持」の程度によって選び出す推論である。系統推定において、それはさまざまな系統樹を描く過程で、どのような基準であり得る系統樹間を評価し、採用すべきかという推論として行われる。ひとつの例として本書で挙げられるのが「最節約的基準」と呼ばれるものである。
最節約的基準とは基準となるある変数が最小化される仮説を選択するというものであり、本書で使われている例で言えば以下のようになる。
あるPTAの連絡網で伝言した内容が誤って伝えられるという事態が起きたとする。連絡網の何人かに伝言内容を確認したところPさん以前の保護者は正確な内容を把握していたのに対し、Pさんから連絡を貰った保護者は全て同じ誤りを持った内容を記憶していたとする。とすれば伝言ミスはPさんにおいて発生したと推定するのが妥当だろう。Pさんから連絡を貰ったQさんが機転を利かせてミスを訂正して伝言を伝えたのにQさんから連絡をもらったRさんがさらに同じミスをしてSさんに伝えてしまった、*3という例も考えられないではないが、そのような仮説は伝言系譜における変化の回数が最も少ないものを選ぶというこの場合の最節約的基準では採用されない。
系統推定においては以上のような最節約性の基準の他にも「最小進化基準」、「最尤基準」、「ベイズ事後確定基準」などさまざまな基準を用いて「より良い」系統樹を模索する数理モデル化が進められている。これらは言わば系統推定における文理を超えた共通の「図形言語」の研究と言えるかもしれない。

覚書

タイプとトークン:
たとえば「水素と酸素が反応すると水が生じる」という命題において、「水素」や「酸素」、「水」というのは現実に存在する箇々の物質を指すのではない。それはある特定の定義形質に特徴づけられた集合としての「タイプ」を意味する。科学というものは基本的にはこのタイプに関する普遍法則を追求する営みではあるが、それにとどまるものでは必ずしも無い。例えば実際にある時間と場所で生じる特定の化学反応が起きるとすれば、それは「ある水素分子とある酸素分子が反応するとある水分子が生じる」と表現される。この場合における水素分子や酸素分子はタイプという集合に所属する箇々の例、「トークン」と呼ばれる。このようなトークンを使った説明では歴史的な要素が含まれており、その意味では典型科学と言えど歴史から無縁であるとは言えない。

スタイナー問題:
与えられた制約条件のもとで、点と点とを結ぶ最節約グラフを求める問題。NP完全問題とも。この問題においては点が一つ増えるたびに計算量が爆発的に増えるため現代のスーパーコンピューターをもってしても解決は困難である。最適解を求めるための有効なアルゴリズムは開発されておらず、そのようなものが存在しうるかも現時点ではわかっていない。

棒の手紙
いわゆる不幸の手紙が流通していく過程で不幸を棒と誤記したのがそのまま流通したもの。このような現象も系統推定による分析が可能。

雑感

進化論生物学や歴史学の科学性に関する哲学的検討みたいな代物。なかなか良い。最近流行の「生物学の哲学」その他の議論に関係してるのかな。たしか「科学も突き詰めると分野ごとに基礎付けが行われている傾向にある」みたいなことを「疑似科学と科学の哲学」で伊勢田先生が言っていたような気がするが、そういう個別分野の哲学的検討の具体例として面白く読んだ。というか本書でも触れられているが、歴史的に科学哲学の議論というのはやっぱり物理学をベースとしたもので、*4厳密にやると科学の範囲が狭くなりすぎるという問題はあったと思う。*5そこでヒントとなるのが恐らく最近流行の「程度思考としての科学」というアイディアなんだろうなあ。
あとは系統樹思考と対立する分類思考に関する話がおもしろかった。離散的な群それぞれに共通の本質を見いだして認知する分類思考は、さまざまものごとに本質を見いだして整理するという人間には非常に馴染みやすい認識方法だろう。このような認識の生得的基盤に関わる議論というのはこれから科学哲学などでも注目されていくのではないだろうか。

*1:本書で挙げられている例で言えば、「観察可能」、「実験可能」、「反復可能」「予測可能」、「一般化可能」。

*2:「科学哲学の冒険」では「アブダクション」は広い意味での帰納としてまとめられていたが。

*3:しかもQさんには伝言内容を確認できなかった。

*4:あと論理実証主義の影響って大きいんだろうなあ。あれもストリクトで実証大好きな科学者タイプには受ける議論だろうからねえ。

*5:ちなみにそういうめんどくさい議論を省いて「科学」を定義すると、「科学とは、科学者のしていることである」みたいなギャグが出来る。