「Untilted」autechre

Untilted

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テクノ・エレクトロニカ界隈でもその前衛大御所ぶりで有名なオウテカの新作。出ていたのに気づかなかった。偶然発見して悩みつつ購入。
なんで迷うかというと、こういう若干前衛気味の音源を買うときって今回のは買う価値あるのかなみたいな逡巡があったりするから。とりあえず、試聴はちゃんとするんだけどね。とりあえず買ってみる。でもやっぱりいまいちということが多くて困る。そういうわけで基本的に僕はアバンギャルドとか聴かないのです。前衛音楽ってなにがいいのさと聞けばまあいろいろ批評の実践だとか理論的根拠がある場合もあったりするんだろうけど、ひとつにその革新性がすばらしいという物言いがある。でも革新的=「いい」*1なんてそう簡単に成り立つはずも無く。じゃあ、なんでオウテカみたいなのを聴くのかなというとそもそも論から始めなければなりますまい。
そもそも、音楽って何なんでしょうか。考えてみませう。と、思ったらWikipediaの音楽の項がやたら充実していてアプローチも僕好みなので、それ読んだらいんじゃないかとか思た。腰砕け。ちょっと引用する。

音楽(おんがく)とは、川の流れなどで生じるランダムな音(これを音響学では雑音という)以外の、時間的に規則性がある・周波数に規則性があるなど、ランダムさが低い特性をもち、かつ人間が楽しむことの出来る音のことをさす。*2

そうなんです。音楽というと感性的なものかと思われがちだけど、音楽を何らかの規則性をもち主に人間により生み出される音のパターンととらえるならば、そこに科学が成立しても別に変な話ではないわけです。*3そのように音楽をとらえることで将来的に認知科学とかの発展と並行して音楽研究の数理化が進み、各種音楽活動は学問としての音楽学の実践みたいになったりするんだろうかなどと考えていたら、やっぱりそういう研究は既に広範に行われている模様。そうなると僕の書いてきたような情緒的ロキノン的な音楽評もどきみたいなのも次第に駆逐されていくようになるのかな。絶滅はしないだろうけど。加えて言えば認知科学と音楽というのは最近かなりおもしろく、例えばこのあたりに簡単にまとめられている。僕の音楽観もおおむねこんな感じ。簡単にまとめると、人間の美に対する感覚というのはある程度まで生得的に決定されるのであって、芸術というのはそれを踏まえてヒトの脳内の美的回路の発見にその本領がある、ということになりますかな。
で、何の話だっけ。そうそうオウテカをなんで聴くのかという話。上記の音楽と人間の観点からするとオウテカのやっていることってのは音楽による新たな美的感覚の探索ってことでそれなりに評価できると思うのだ。それを前衛的と評するのならそれはそれでありなのではないか、期待してもいいのではないか。未だ見ぬ美的感覚を人間に生じさせるのが芸術の使命だとしたら、そのことを自覚した上で前衛をやるというのは別に悪いことではない。というか芸術そのものなんではないかなあとか思いました。*4
で、実際どうなのよ。成功してるのかと言えば、うーん、今回はぼちぼちだと思う、という中途半端な答えにならざるを得ない。というかオウテカというのは聴いていると部屋の温度が2、3度下がる音楽で、ダウナーな時に聴くと冗談じゃなく死にかねないので扱いがちょっと大変。本作もそんな感じだけど少しはアッパーな曲も増えてるのかな。でも相変わらず冷たい音ね。こういうリズムずらしまくりに奇怪な音色使いというアプローチもそろそろ限界なんじゃないかとか思わないでも無い。前衛でもなくなってきた、といいますか。それでまた奇矯な方向に走られてもつまらんのですがね。*5最近はテクノ自体にもマンネリ感が出て参りまして、skamの新作コンピも聴いてみたけどいまいち乗り切れません。

*1:実はこの「いい」っていうのにもいろいろあるんだよね。ひとまず聴きたくなるって共通項でくくっておきたい。

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/音楽

*3:そして、それはまた僕らが音楽に心揺さぶられることと何ら矛盾するわけでもないのです。似たようなロジックで言ってみたい、かっこいい台詞があるけどはずいから言わない。てへっ。

*4:でも強調しなくてはならないのは、繰り返しになるけど前衛=「いい」という訳ではないこと。「いい」音楽を作るために「前衛」というスタンスがあるというのは譲れないところかと。ここでまた「いい」って何よ?というお話に戻ってしまう。ところで芸術の評価基準がどこまで客観的になるのかわからないけど、結構主観的な部分も残るではないのかなあ。

*5:そういえば、ショーンの嫁さんがやってたアレはつまんなかったなあ。リズムなしメロディーなしの音楽って無理あるよ、やっぱ。