LOVE 3D ギャスパー・ノエ

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 サウルの息子見に行ったら、ちょうど同じ映画館でギャスパー・ノエの新作がやっていることが判明。全然チェックしてなかったので衝撃。翌週見に行ってみました。今調べたらエンター・ザ・ヴォイドが2009年なので、6年ぶりの新作なのね。

 

 本当は3D版が見たかったのだけど2Dしかやっていなかったので仕方なく2D。始まっていきなり濃厚なセックスシーン(それも結構長い。)から始まり、2時間20分ぐらいの上映時間中、多分半分くらいがセックスシーンです。それも映画にありがちな芸術的抽象的なベッドシーンじゃなくて、完全にAV的なそれです*1。これ見た後だと初代ターミネーターのベッドシーンがわりと健全に見えます。正直3Dで見たかった。

 

 内容的には3P願望を持つブルネットのグラマー彼女、エレクトラと付き合っている映画監督志望のボンクラ、マーフィーが金髪スレンダーパリジャンヌのお隣さん、オミと魔が差して浮気して*2妊娠させてしまい、エレクトラと別れることになったけど未練タラタラというギャスパー・ノエにしてはややあっさりめの映画です。何を言ってるかわからねーと思うが、ギャスパー・ノエにしては普通なんだよ。

 

 プロットの普通さはさておき、(あっちの相性が良かった)昔の女との思い出の清算という意味では、これ、(500)日のサマーのギャスパー・ノエバージョンと言えるかもしれない。このテーマって意外に多くの映画で使われてると思うが、頭抱えてバスルームで泣いてるマーフィー見てるとやっぱり「女々しい」って男のためにある言葉だと思う。マーフィーはオミを妊娠させる前にも、パーティーで会った女とエレクトラと一緒にいるにもかかわらず、わりと簡単にその場で浮気したり、そのくせエレクトラが浮気すると激怒して、浮気相手をコニャックの瓶で殴りつけて警察のお世話になったりするようなクズ人間*3だけど、ここまでひどくなくとも男と女がくっついてすることといえばセックスの他にはこんなくだらない諍いじゃないのかなーという気はする。若かった自分を思い出すという意味では正しく青春映画的な一作。しかしやっぱり3Dで見たかった。

 

*1:射精シーンあります。

*2:でもその前にエレクトラ交えて3Pしてたりする。意味がわからない。

*3:しかもその時警官に教えてもらったハプニングバーに自分がエレクトラを連れて行ったくせに、なんで他の男を抜いてやったりするんだとか言い出したあげく、自分はバカだからお前が止めてくれなくちゃなどとほざく本格派のクズです。

サウルの息子 ネメシュ・ラースロー

 

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 というわけで、久しぶりのエントリー。今更ながらサウルの息子見に行ってきた。これ書いてる時にはもう公開終わってるかも。

 
 やや食傷気味のホロコーストものですが、こういう撮りかたもできるのねという感想。ピント外れのボヤけた林と草むらの風景に突然鳴り響く警笛と人々のざわめき。画面奥から歩み寄ってくる主人公サウルにピントが合うところからこの幻想の物語は始まります。
 
 ナチス強制収容所でガス室の犠牲者の遺体処理に従事するユダヤ人部隊ゾンダーコマンドの一員であるサウルはある日ガス室で我が子と思しき瀕死の子供に出くわす。サウルの息子はすぐに殺され遺体は解剖に回されるが、サウルは正統なユダヤ教式の埋葬を行おうと遺体を守りラビを探そうとする…。
 
 というのが大雑把な粗筋なのだけど、まずこの映画凡百のホロコーストものと比べてホラー要素かなり強いです。ホラーというとちょっと不謹慎かもしませんが。例えば冒頭のシーンは強制収容所に輸送されてきた大量のユダヤ人にシャワーを浴びさせるという名目で服を脱がせ、ガス室に押し込むまでの過程を描いているのだけど、これが映像表現の巧みさも相まって実にリアリティある恐ろしげなシーンに仕上がっている。状況のよくわからないまま貨車から降ろされサウル達ゾンダーコマンドの誘導に従って歩かされるユダヤ人の群衆のなか、カメラはサウルだけを追いかけていく。このカメラワークが非常に巧みで、映画の観客はまるで自分が死すべき運命のユダヤ人の群衆の中にいるかのような感覚に襲われる。そしてユダヤ人達はたどり着いた更衣室で全ての衣服を脱ぐよう言われ、シャワーを浴びた後、スープが与えられると伝えられる。何かを察して泣き出す女性もいるが、大多数の人々はそのまま服を脱いでシャワー室に入っていく。その間ゾンダーコマンドは衣服を脱ぐのを手伝ってやったり泣き出す者を落ち着かせたりとひたすら彼らの労働に没頭する。最後にガス室の鉄の扉を閉めた後に内側から拳を叩きつける音とその扉を押さえるサウルの虚空を見つめる疲労しきった顔が夢に出そうなくらいホラーです。他にもガス室と焼却炉の稼働が追いつかないくらい大量のユダヤ人が到着した夜のシーンなど、真っ暗な夜の森の中で単に掘った穴の中に裸で叩き落されるユダヤ人の群れと、その穴を火炎放射器で焼き尽くすSSの描写などホラーすぎる場面がちょくちょく出てきます。結構怖いぜ。
 
 この映画を特徴付ける背景のボケとサウルに密着したカメラワークはこの映画のテーマと多分関係してる。収容所の死体処理という労働に従事し続けたサウルは恐らくあらゆる物事への興味を失っていて、だからこそカメラはひたすらサウルを追い続けサウル以外の世界はボヤけていてよく見えない。それは息子の埋葬という生きる意味を見つけた後でも同様であり、脱走計画を企てる周囲の同胞にサウルはほとんど興味を示さないし、計画への協力を装って埋葬を行ってくれるラビを探すことでトラブルを起こし他のゾンダーコマンドを死の危険に追いやったりする。多分それは人間性と呼ばれるもののひとつの現れであるとは思う。最初に僕はこの映画を幻想の物語と書いたけれど、サウルがずっと見ていたのは息子の埋葬と復活という幻想で、周囲や現実との軋轢を生みながらも、それはサウルの生きる意味になっていた。その幻想はもしかしてナチスのような暴力と現実へのアンチテーゼとして描かれているのかもしれないが、その暴力と現実を最終的に覆したのは結局のところソ連とアメリカの暴力であったことは皮肉かもしれない。この映画はナチス強制収容所というあまりに過酷な環境での人間性の発露が描かれているのだけど、息子の埋葬と復活がサウルにとって最後の希望であることは理解しつつも、僕自身は暴力に対して暴力を用いて反逆し、生きることを望みつつも道半ばで倒れたゾンダーコマンドの反乱者達の方が好ましいように思うのだ。
 

仮称「1対1の会話だと話せるが、3人以上の「グループ」になったとたん黙り込む」問題について

はてブをちまちまチェックしているとなかなか興味深いエントリーを発見。
http://blueperiod.blog.shinobi.jp/Entry/1030/
これは多分ね、多人数間コミュニケーションにおける注目リソースの分配問題。集団での会話が苦手な人というのは出来上がったコミュニケーションに分け入るのが苦手なのだと思う。
どういうことか説明する前に会話一般についてちょっと考えてみる。ちょうおおざっぱに言うと会話というのは以下の三つの段階に分けられる。
まず相手の話を聞いて内容を理解するフェイズ、次に会話の内容に応じた応答を考えるフェイズ、そして実際に発言するフェイズと、これらを遅くとも2、3秒以内にはこなさなくていはいけない。会話というのは実は結構高度な情報処理。*1まあ人間というのはそれなりに上手く出来ているので、個人差はあれ大体の人は1対1であればこの辺のことを問題なくこなせる。で、ここで関係してくるのが1対1の会話と集団でのそれとの違い。それも最も大きな要因はコミュニケーションを取る相手への意識の集中と分散だろう。
1対1での会話の場合は、コミュニケーションを取る相手が限定されているため、自然お互いの言動に意識が集中することになる。従って、相手の話の理解があやふやであったり、反応が遅れてたりしても、その後のコミュニケーションの継続で挽回は可能だ。ところが多対多の多人数間コミュニケーションの場合は事情が異なってくる。この場合は単純に会話を成立させ得る相手の数が多くなる。従って、注目すべき対象の数は増えるし、自分以外の複数の相手が成立させている会話内容の多様性も広がる。これらはもちろん処理すべき情報が飛躍的に増大することにも繋がるが、最も大きなことは自分以外の誰かと誰かが会話を成立させることができるということだ。これはつまり自分がその場の注目から外れるということを意味する。
さて、ここで問題になるのが多人数間で自分が積極的に会話を成立させていく困難である。それはすなわち複数の対象に分散した他人の意識を自分に集中させることであったり、現在会話中の複数人の意識をある意味で強引に自分に向けさせる困難ということだ。これには1対1のコミュニケーションと違ってゼロの状態から他人の注目リソースを集める能力が必要になってくる。多対多のコミュケーションというものは自己アピールの要素が大きいのではないだろうか。そもそも元記事の主題が恋愛関係のスレッドから取られているのは興味深いところだ。

*1:実際はこういう風な段階にキッチリと分けられるわけではなく、状況把握とフィードバックが複雑に絡み合って同時進行していくものだと思う。

武道の必修化と憲法問題についてちまちま

なんかこういうの久しぶりだなー。先日崎山伸夫さんのブログに武道の必修化に関するエントリーがあって、ブクマコメントを付けたところ本人から応答が。
私のコメントがこれ

2007年09月08日 bhikkhu law, politics, education 神戸高専判例は武道必修自体を違法としたんじゃなくて、代替措置を認めなかった校長の裁量権逸脱を違法としてるんすよ。なんでもそうだけどWikipediaだけで記事書くのはちょっと危ない。

で、崎山さんの応答がこれ

2007年09月09日 sakichan ↓id:bhikkhu 判例は読んだ上でなんだが。「例外として代替措置を用意して済ませるのかもしれないし、あるいは、…。しかし、」代替措置を新教育基本法下の文部省や教委レベルで認めないかもしれない、ということ。

判例は読んだそうなので武道必修自体は違法としてないというのはご存知だということなのか。でも、そうすると記事中の

これは最高裁判例として生きている状態のものなわけで、趣旨も含めてこれと真正面からぶつかるんじゃないかと。

という部分がいまいち意味不明に。この文だと武道必修化自体が判例と矛盾すると読めるし、実際ブクマコメ欄にもそのように解釈してしまってる方がいるようですよ。でも必修化自体は判例でも違憲とされているわけではない以上、その政治的賛否はともかくとして「趣旨も含めてこれと真正面からぶつかる」わけはないんですよね。代替措置設ければいいんだから。まあ要すればこの件を「手続き論」で攻めるにはちょっと拙いのではないか、というのが私の意見でございます。参考に件の最高裁平成八年三月八日第二小法廷判決全文を引用しておきましょうかね。

一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 被上告人は、平成二年四月に神戸市立工業高等専門学校(以下「神戸高専」という。)に入学した者で
ある。
2 高等専門学校においては学年制が採られており、学生は各学年の修了の認定があって初めて上級学年に進級することができる。神戸高専の学業成績評価及び進級並びに卒業の認定に関する規程(以下「進級等規程」という。)によれば、進級の認定を受けるためには、修得しなければならない科目全部について不認定のないことが必要であるが、ある科目の学業成績が一〇〇点法で評価して五五点未満であれば、その科目は不認定となる。学業成績は、科目担当教員が学習態度と試験成績を総合して前期、後期の各学期末に評価し、学年成績は、原則として、各学期末の成績を総合して行うこととされている。また、進級等規程によれば、休学による場合のほか、学生は連続して二回原級にとどまることはできず、神戸市立工業高等専門学校学則(昭和三八年神戸市教育委員会規則第一〇号。以下「学則」という。)及び退学に関する内規(以下「退学内規」という。)では、校長は、連続して二回進級することができなかった学生に対し、退学を命ずることができることとされている。
3 神戸高専では、保健体育が全学年の必修科目とされていたが、平成二年度からは、第一学年の体育科目の授業の種目として剣道が採用された。剣道の授業は、前期又は後期のいずれかにおいて履修すべきものとされ、その学期の体育科目の配点一〇〇点のうち七〇点、すなわち、第一学年の体育科目の点数一〇〇点のうち三五点が配点された。
4 被上告人は、両親が、聖書に固く従うという信仰を持つキリスト教信者である「エホバの証人」であったこともあって、自らも「エホバの証人」となった。被上告人は、その教義に従い、格技である剣道の実技に参加することは自己の宗教的信条と根本的に相いれないとの信念の下に、神戸高専入学直後で剣道の授業が開始される前の平成二年四月下旬、他の「エホバの証人」である学生と共に、四名の体育担当教員らに対し、宗教上の理由で剣道実技に参加することができないことを説明し、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨申し入れたが、右教員らは、これを即座に拒否した。被上告人は、実際に剣道の授業が行われるまでに同趣旨の申入れを繰り返したが、体育担当教員からは剣道実技をしないのであれば欠席扱いにすると言われた。上告人は、被上告人らが剣道実技への参加ができないとの申出をしていることを知って、同月下旬、体育担当教員らと協議をし、これらの学生に対して剣道実技に代わる代替措置を採らないことを決めた。被上告人は、同月末ころから開始された剣道の授業では、服装を替え、サーキットトレーニング、講義、準備体操には参加したが、剣道実技には参加せず、その間、道場の隅で正座をし、レポートを作成するために授業の内容を記録していた。被上告人は、授業の後、右記録に基づきレポートを作成して、次の授業が行われるより前の日に体育担当教員に提出しようとしたが、その受領を拒否された。
5 体育担当教員又は上告人は、被上告人ら剣道実技に参加しない学生やその保護者に対し、剣道実技に参加するよう説得を試み、保護者に対して、剣道実技に参加しなければ留年することは必至であること、代替措置は採らないこと等の神戸高専側の方針を説明した。保護者からは代替措置を採って欲しい旨の陳情があったが、神戸高専の回答は、代替措置は採らないというものであった。その間、上告人と体育担当教員等関係者は、協議して、剣道実技への不参加者に対する特別救済措置として剣道実技の補講を行うこととし、二回にわたって、学生又は保護者に参加を勧めたが、被上告人はこれに参加しなかった。その結果、体育担当教員は、被上告人の剣道実技の履修に関しては欠席扱いとし、剣道種目については準備体操を行った点のみを五点(学年成績でいえば二・五点)と評価し、第一学年に被上告人が履修した他の体育種目の評価と総合して被上告人の体育科目を四二点と評価した。第一次進級認定会議で、剣道実技に参加しない被上告人外五名の学生について、体育の成績を認定することができないとされ、これらの学生に対し剣道実技の補講を行うことが決められたが、被上告人外四名はこれに参加しなかった。そのため、平成三年三月二三日開催の第二次進級認定会議において、同人らは進級不認定とされ、上告人は、同月二五日、被上告人につき第二学年に進級させない旨の原級留置処分をし、被上告人及び保護者に対してこれを告知した。
6 平成三年度においても、被上告人の態度は前年度と同様であり、学校の対応も同様であったため、被上告人の体育科目の評価は総合して四八点とされ、剣道実技の補講にも参加しなかった被上告人は、平成四年三月二三日開催の平成三年度第二次進級認定会議において外四名の学生と共に進級不認定とされ、上告人は、被上告人に対する再度の原級留置処分を決定した。また、同日、表彰懲戒委員会が開催され、被上告人外一名について退学の措置を採ることが相当と決定され、上告人は、自主退学をしなかった被上告人に対し、二回連続して原級に留め置かれたことから学則三一条に定める退学事由である「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に該当するとの判断の下に、同月二七日、右原級留置処分を前提とする退学処分を告知した。
7 被上告人が、剣道以外の体育種目の受講に特に不熱心であったとは認められない。また、被上告人の体育以外の成績は優秀であり、授業態度も真しなものであった。
なお、被上告人のような学生に対し、レポートの提出又は他の運動をさせる代替措置を採用している高等専門学校もある。
高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較てその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである(最高裁昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、最高裁昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁、最高裁昭和四二年(行ツ)第五九号同四九年七月一九日第三小法廷判決・民集二八巻五号七九〇頁、最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。しかし、退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則一三条三項も四個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである(前掲昭和四九年七月一九日第三小法廷判決参照)。また、原級留置処分も、学生にその意に反して一年間にわたり既に履修した科目、種目を再履修することを余儀なくさせ、上級学年における授業を受ける時期を延期させ、卒業を遅らせる上、神戸高専においては、原級留置処分が二回連続してされることにより退学処分にもつながるものであるから、その学生に与える不利益の大きさに照らして、原級留置処分の決定に当たっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。そして、前記事実関係の下においては、以下に説示するとおり、本件各処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない。
1 公教育の教育課程において、学年に応じた一定の重要な知識、能力等を学生に共通に修得させることが必要であることは、教育水準の確保等の要請から、否定することができず、保健体育科目の履修もその例外ではない。しかし、高等専門学校においては、剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも性質上可能というべきである。
2 他方、前記事実関係によれば、被上告人が剣道実技への参加を拒否する理由は、被上告人の信仰の核心部分と密接に関連する真しなものであった。被上告人は、他の体育種目の履修は拒否しておらず、特に不熱心でもなかったが、剣道種目の点数として三五点中のわずか二・五点しか与えられなかったため、他の種目の履修のみで体育科目の合格点を取ることは著しく困難であったと認められる。したがって、被上告人は、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否の結果として、他の科目では成績優秀であったにもかかわらず、原級留置、退学という事態に追い込まれたものというべきであり、その不利益が極めて大きいことも明らかである。また、本件各処分は、その内容それ自体において被上告人に信仰上の教義に反する行動を命じたものではなく、その意味では、被上告人の信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが、しかし、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。
上告人の採った措置が、信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなく、教育内容の設定及びその履修に関する評価方法についての一般的な定めに従ったものであるとしても、本件各処分が右のとおりの性質を有するものであった以上、上告人は、前記裁量権の行使に当たり、当然そのことに相応の考慮を払う必要があったというべきである。また、被上告人が、自らの自由意思により、必修である体育科目の種目として剣道の授業を採用している学校を選択したことを理由に、先にみたような著しい不利益を被上告人に与えることが当然に許容されることになるものでもない。
3 被上告人は、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨繰り返し申し入れていたのであって、剣道実技を履修しないまま直ちに履修したと同様の評価を受けることを求めていたものではない。これに対し、神戸高専においては、被上告人ら「エホバの証人」である学生が、信仰上の理由から格技の授業を拒否する旨の申出をするや否や、剣道実技の履修拒否は認めず、代替措置は採らないことを明言し、被上告人及び保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も一切拒否し、剣道実技の補講を受けることのみを説得したというのである。本件各処分の前示の性質にかんがみれば、本件各処分に至るまでに何らかの代替措置を採ることの是非、その方法、態様等について十分に考慮するべきであったということができるが、本件においてそれがされていたとは到底いうことができない。
所論は、神戸高専においては代替措置を採るにつき実際的な障害があったという。しかし、信仰上の理由に基づく格技の履修拒否に対して代替措置を採っている学校も現にあるというのであり、他の学生に不公平感を生じさせないような適切な方法、態様による代替措置を採ることは可能であると考えられる。また、履修拒否が信仰上の理由に基づくものかどうかは外形的事情の調査によって容易に明らかになるであろうし、信仰上の理由に仮託して履修拒否をしようという者が多数に上るとも考え難いところである。さらに、代替措置を採ることによって、神戸高専における教育秩序を維持することができないとか、学校全体の運営に看過することができない重大な支障を生ずるおそれがあったとは認められないとした原審の認定判断も是認することができる。そうすると、代替措置を採ることが実際上不可能であったということはできない。
所論は、代替措置を採ることは憲法二〇条三項に違反するとも主張するが、信仰上の真しな理由から剣道実技に参加することができない学生に対し、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で、その成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、およそ代替措置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、憲法二〇条三項に違反するということができないことは明らかである。また、公立学校において、学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないものであるが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、その理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえないものと解される。これらのことは、最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁の趣旨に徴して明らかである。
4 以上によれば、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。
右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。その余の違憲の主張は、その実質において、原判決の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎない。また、右の判断は、所論引用の各判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。
 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=25577&hanreiKbn=01

個人的には武道の必修化なんて激しくどうでもいい、というかせいぜい週に一度の授業ごときで礼儀と公正な態度を涵養とかバカじゃネーノププー*1という感想しか抱けないところではありますが、エホバの人とかが激しく嫌がるのはわかるのでそのあたり「もし本当にやるのであれば」代替措置を設けるべきなのだろうなあ、とは思いますね。実務でも神戸高専判例が存在する以上代替措置を設けないなんて選択も無理筋なんじゃないですかね?日本政府というのも最高裁を完全にシカトするほどアグレッシブじゃないでしょう。

で、この件に関してはid:mescalitoさんがブクマコメ欄で何か書いていらっしゃいまして、この人はたしかid:swan_slabさんと同一人物なので法律に関しては私なぞより遥かに詳しいはず。でも参考URI示しといて開いたらプライベートってのは何かのギャグなのか。認証受けろということですかそうですか。

*1:このあたり教育というのは左右問わずイデオローグのオモチャになりやすいよね。

今回の参院選の件

まあ下馬評通りというか自民大敗の模様。僕的には一番なんとかしなくてはいけないと思っていたのは日銀の金融政策だったりして、するとそれは争点にすらなってないわけでわりとどうでもいいかなーって感じだったのですが、*1例の政治資金規正法関連のアレとか特に年金問題とかで怒れる大衆の鉄槌が自民党に振り下ろされたようです。消費税もそうだったけど社会保障関係とか中流層の既得権関係でしくじるのはやっぱり現代民主制では致命的なんですね。まあ民主主義的には有権者が自らの利益に敏感なのは悪いことであるはずも無いのですが、民主党参院選勝ったからってどうなんだって話ではある。
で、この件で安倍総理ご執心の公務員制度改革関連はこれで頓挫するのかな?それともまたぞろ強引に押し進めて行くのでしょうか。個人的には日本の官僚制の特徴であるメリットシステムにどの程度政治任用的な制度、文化を持ち込めるかが注目だったのだけど、今回の敗北でどうも雲行きが怪しくなってきたね。だいたいがそれやるには日本の労働市場流動性をまずなんとかしなければいけないわけで、それ政治だけで出来るもんなの?そもそも出来るの?って話なわけです。そもそも出来たからと言ってどれだけメリットがあるのかよくわからないのですが。
そして久しぶりにジャーナル・スタンダード行ったら変なカード貰う。ポイントの期限が伸びたらしい。めでたいことで。政治より人生。政治より商売、です。

*1:とか思ってたら中川幹事長がお辞めになるそうで。あらあら。

更に久しぶりの更新

というわけで久方ぶりの更新でございます。四ヶ月ぶりか?色々あってこんなことに。前回からちょっとはてブの辺境あたりから注目を浴びたようでございますが、あの読書メモは自分でもあんまり出来が良いとは思ってなかったりする。恥ずかしいなあ。つーかあの手の話が好きならもっと前のエントリーでそこそこのものを書いたりしてるんだけどなあ。まあ何事もタイミングでございますね。
で、なんか「はて☆すた(仮称)」なるサービスがはてな村民の逆鱗に触れたりして昨今騒がしいはてな界隈ですがいかがお過ごしでしょうか。僕はまだオフラインの方が忙しいのでこれからまた冬眠予定ですが、まあ落ち着いたらもっとなんかアクティブに動きたい所存。しかしこういう更新の仕方だと最新エントリ表示が役立たずですな。