天網恢々粗にして漏らさず(だといいな。ある意味で希望的観測。)

追記あり:5/19
もういい加減下積みばかりやっている場合じゃない時期になりつつあります。何をすればいいのだろうとか、そのレベルでの悩みというのはすでに抜けて久しい。しかしできるんだろうかできないのだろうかとか、その手の不毛な逡巡からは簡単には抜け出せない。
僕らは日常的に種々雑多な意思決定を迫られている。例えば、今日の献立とか、今日着る服とか、こういう軽い選択はともかく、進路選択とか職業選択とかかなり重い決断もしなきゃいけないときもある。
それら迫られる意思決定への対処のための基本的なノウハウとしてまずはまず目標をはっきりさせるという段階がある。目標を決めることで、目的地までの道筋が、つまりやらなくてはいけないことがおぼろげながらも見えてくる。
ただ、目標といっても人間である以上抽象的な究極目標においては皆同じようなところに収斂していくのだと思う。確かに、やりたいことを挙げるならそれこそ十人十色の回答が出るだろう。しかし、それらを何のためにやりたいのかまで抽象化するなら、究極的に欲求の充足にまでたどり着くはずだ。そして、なんだかんだいって進化の過程を経てデザインされた身体を持っているのだから持つ可能性のある欲求もだいたい同じだろう。欲求なんてものは特に深く探求せずともわかるのであって、それを具体化する方法というところで悩みが生まれる。つまり目標が定まったとしてもそこへ行き着くための道筋、方法、その他で分からなくなるということがある。こういう細々としたことを整理して人々がものを考えるための材料を提供するのが専門家の仕事なのだろうけど、その話はとりあえずおいておく。
でも、道の選択という悩みどころでも定石らしきものはもう既にある。それが何かというといわゆる平凡な幸せということであって、要するに妥協だ。無理しない。自分が今できることにあわせて道を選ぶこと。これはこれでありだとは思う。生まれて、生きて、死んだ。それだけでもいいのではないか。皮肉抜きにそういう生き方はある種の美しさを持っていると思う。*1 *2
ただ、それを知ってなお持ってしまう望みというのもある訳だ。こういう望みというのは購うのに大変な犠牲を払う必要がある。それこそ人一人の持てるあらゆるリソースを消費しなければ叶わない望みというのもあるかもしれない。リターンを得るのにリスクがかかるのは当然であって、少なくともやりたいこととできることの差を埋めるのは「これをやる」という決断などではなかったりする。
とある漫画でこういうシーンがある。凶悪な二人のテロリストのうち一人を人質らの人命優先のお題目のもと多数の被害者を出しながら逮捕し、もう一人を取り逃がした刑事、塩見警部補が自らの捜査方針やその結果について、当初から犯人射殺命令を出していた秋田県警の須賀原本部長に対して心情を吐露する場面だ。

「ジブンのうすっぺらな覚悟と信念が青森西署で部下を殺し、逃走させだのち捜査員を死なせ人質女性を、秋田県警捜査員を殺したものと思われ、ジっジブンは!!」
「反省と後悔は愚者のいい訳にすぎず、ましてや償いでもない。そこにいかなる価値を見いだそうとするのか私には理解できない」
「故・薬師寺補佐は「倫理ではない。殺しは覚悟だ」と言いました、今ならわかりまス!!
「社会か個人か守るか葬るか命を選択せよ」須賀原本部長の言葉が今更身にしみまス!!」
「塩見くん。
覚悟や信念などというものは人間である限り曖昧極まりない。教えてもらいたい。反省、後悔した今人質が肉親でも君は撃てるのか?」
「……」
「人間は性分で行動し、行動のみが人間を裏打ちする。」
「……」
「私は肉親も撃つ。これは性分だ。」
新井英樹「The World Is Mine」より

できるのか、できないのか、無駄なところで逡巡するより先にやることはいくらでもある。今は見えない未来などより、過去何をしてきたか、今何をしているかで人間の性分は証明されるのだ。加えて言えば人はそう簡単に変わったりなどしない。天命説ではないが、救われる者は決まっているのだろう。
では、僕らにできることなど何一つないのだろうか。実はそうともいえないのではないか。これについてはまだ考えがまとまっていない。少しだけ書くと方法論というものがなんらかの助けになるのかも知れない。人間による自己の意識的コントロール。それは人間という生物の的確な理解を前提として、人間行動を任意の目標に向かう枠にはめるものとなるだろう。なんだか殺伐としたお話ではある。

*1:これに関しては今積読している小説があるので、読み終わったらまた書くかも。

*2:追記:うーん。よく考えたら「妥協」というのは違うかな。もっとこう固有の環境で本分を尽くすというか、なんか陳腐な精神論みたいだけど。一人の人間としての天分を全うするんだよ。受け身という訳でもなくね。そうした時に何が起きるかというと、まずヒエラルキーが消えるんだ。地位、名誉、金とか。そういうのを追い求めるのを簡単に否定する気はないんだけど、そう相対的なものが消えて一人の人間の人生が絶対化するんだよ。あー、とっておいたネタが減ってしまったような。この話はまた後日詳しく書きたい。