「認知心理学」道又爾(他)(有斐閣アルマ)

認知心理学―知のアーキテクチャを探る (有斐閣アルマ―Specialized)

認知心理学―知のアーキテクチャを探る (有斐閣アルマ―Specialized)

認知心理学の入門テキスト。一応専門科目向けらしいが僕がさくさく読めるという事は文系学部1、2年生の教養レベルなんじゃないだろうか。コンピュータとか最近の心理学とかに興味のある人には読みやすいと思う。個人的にこの領域の知識は普段読んでいる本にも頻繁に出てくるのだが、これまでまとまった知識として読んだことは無かった。ということで、なぜか有斐閣アルマからこの分野について本が出ているのを発見し即購入したのであった。
認知心理学というのはどういう学問か説明するには、まずこの名称にくっついている「認知」という言葉について説明するべきだろう。一般に日本語においては「認知」というのはそれほど広い使われ方をする言葉ではない。例えば「生扉はITベンチャーの雄として認知された」というように、なんらかの存在が社会的に認められるという意味で使われる。しかし、認知心理学で言う認知(cognition)とは、認識すること、理解すること、思考すること、など高度な知的活動を包括的に表す言葉として使われる。*1そして、認知心理学とはこのような人間の知的活動について実証性を基礎として研究する学問を言う。例によってWikipediaの定義を持ってこようと思ったら、使えそうな記述が無かった。残念。
まあ、これだけじゃなにやってる学問なのかいまいちピンと来ないだろうからもうすこし敷衍しよう。認知心理学というのは人間の心の仕組みについて実証を踏まえて理論化する学問である。では、どのように理論化を行うのか。それは人間の脳に実装されている機能を抽象化しモデリングすることである。*2人間の思考のモデリングについて大きなヒントとなったのは戦後アメリカにおける情報理論とコンピュータ・サイエンスの発展である。心を一種の計算理論としてとらえることが人の心の研究におけるエポック・メイキングな出来事だったのだ。
このパラダイムは人間の脳で動いているシステムをソフトウェアにより表現することによって、人間がどのように情報処理を行っているのかを推論し、その仮説をソフトウェアによって実際に表現するという手法を生み出した。また、PETやfMRIといった脳機能の画像化技術の出現や神経系損傷の症例研究は心理学に実証性をもたらすことに成功した。これらの心の計算理論とよばれるモデリングと実証可能性が人間の「こころの仕組み」一般の研究に凄まじいブレイクスルーを生じさせたのだ。
で、これが何の役に立つのかって?
まず世界人類の発展(笑)に役立つのは明白だろう。今日、ありとあらゆる人間行動の理論化の為には認知心理学や、進化心理学の理解は不可欠であると思う。今はまだ旧来の社会科学とこれらの生物学的な知見はせめぎあっている段階だろうが、科学を標榜する以上。いずれ社会科学もこのような知識領域を基盤とせざるを得なくなるだろう。今はまだスティーブン・ピンカーのような類い稀な才能を持つ自然科学者の個人技によってまとめられている段階に過ぎないが、いずれ固有の学問として社会生物学の発展形のような領域は現れざる得ないと思う。この点で「生物学的な心理学は未だ不完全」などと宣う*3旧学問の遺物は打倒されねばなるまい。あと、ポモチックな反科学の徒も同様(笑
では次に僕ら素人に対して何の役に立つのかというお話でもしましょうか。
人間なら誰でも「人間の本性」に関する理論を持っているだろう。つまり、人間というのはどういう存在で、どういう特徴を持っているのかということに関する考え方のことだ。これは別に学問に限定される話ではなくて、もっと単純に人間は他人がどういう行動を取るのかを予測する為の人間理解を持っているという話だ。「人間ってのは○○だから、△△なときには××という行動をとる」といったやつね。各人は自らのそういった「人間の本性」理論に従って、他人に対してどういう行動をとればいいのか決めたりする。
大体の人は自らの経験からこういった人間理解を深めるわけだけれども、よほど超人的な行動力を持つ人でも無い限り個人の実経験なんて狭い世界の話。そういうときに誰かがある領域の知見についてまとめてくれているならそれを使わない手はない。そして世界について何か知りたいことがあるなら学問というのは現時点で人類の持つ最高の知的リソースである。大げさに聞こえるかも知れないが学問で考えてわからないことというのはその時点では人間にはわからないことなのだ。
ただし、学問は具体的なシチュエーションに対して明確で直接的な答えを与えることは少ない。少ないが、しかし他方で具体的な問題解決に対して具体的な解を出す為の方法論が究極的に正しいか間違っているか、検証するための基盤は与えてくれる。これは迂遠な方法だがかじっておくと色々見えるものはありますよ。
え?これ読んで日常生活になにかプラスがあるかって?えーと…「ココロって不思議だわ」とか言ってフロイトとかユング読むよりは役に立つと思うよ(笑。*4
ただ、認知心理学で研究されているのは機能的観点からの人間の情報処理、つまり見る、聞く、感じる、推論するといったところなので、人間の心の機微とかいう話になると仮説段階ではあるが進化心理学のほうがおもしろいのかな、と。
さて、ここまで書いてなんだが僕はまったくのド素人なのでこの文章にはかなりの間違いやミスリーディングな物言いが含まれている恐れなしとしない。従いまして、これをネタにして人になんかしゃべったりすると痛い目見るかも。しかし、アルマって分かりやすいよなあ。認知心理学とか法とインターネットとかこのへん翔泳社あたりにやられっぱなしだと思ってたら、有斐閣、やるじゃないか。

*1:p2

*2:まあ、こういうモデリングなんてのは科学ならどの領域でもやっていることではある。というか科学そのものとさえ言える。

*3:それはそれでその通りではあるが、じゃあ発展させればいいじゃんという話だ。方向性が間違っているわけではない。ただ差別問題とか、そういうセンシティブなところでいろいろ誤解が生まれやすい領域なんでこれから一悶着おきそうな悪寒。優生学のトラウマとかもあるんだろな。一言だけ言うと「そうである」ということと「そうであるべき」というのは別範疇の問題であって、例えば世の中が弱肉強食であったとしても僕らがそれを容認しなくてはならないわけではない。

*4:人間の行動に関する造詣が深いからといって実際うまく行動できるかって言うとそうでもないんだけどね。何故かと言えば、人間って自分の行動だって完璧にコントロールすることは出来ないから。野球選手の技術がいかに凄いかと言う解説を読んでも、それを実際に出来るかと言ったら微妙でございますでしょ?