「影響力の武器」ロバート・B・チャルディーニ(誠信書房)

影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか

概要

アメリカの社会心理学者による承諾誘導の古典。セールスマンなどが多用する他者の意思決定に影響を与える方法を多様な事例を通して紹介し、その理論化を試みた画期的な書物。
人間の意思決定に際して強い影響を与える六つの要素

  • 返報性のルール:他者から何かを与えられた場合に同様に相手に与えることを要求する規範、あるいは情動。社会的に有益な持続的人間関係や交流、交換を発達させるものであると同時に、相手にまず無償でなにかを与えることで他の取引への承諾へと誘導する方法としても使われる。
  • コミットメントと一貫性:人は自らの行動や信念を一貫したものにしたいという欲求を持ち、最初のコミットメントに合致した行動をとろうとする。仮にその選択が間違っているとしても、最初の決定に固執する傾向がある。人間のこの性質を上手く利用した承諾誘導の技術として「ローボール・テクニック」というものが存在する。
  • 社会的証明:人がある状況で何を信じるべきか、どのように振る舞うべきかを決定するに際しては、他の人々がどのように行動するかが重要な判断要素となる。この社会的証明は状況が流動的で不確かである場合や、行動の参考にする人々が自分と類似している場合に最も強く働く。この影響力は非常に強く、状況によっては自らの生命の放棄という決定すら実行することがある。
  • 好意:人は自分が好意を感じている知人に対してイエスと言う傾向がある。人に好意を感じさせる大きな要因としては、身体的魅力や自分との類似性、あるいは相手からの賞賛が挙げられる。これらの要素は承諾誘導の実践においても多用される。
  • 権威:権威者の命令には人々を屈服させる力がある。なぜなら正当な権威者というものは大抵において知識や経験を豊富に持ち、社会的に有利な立場にいることが多いので、彼らに従うことは命令を受ける人にとっても有益であることが多いからだ。服従に関するミルグラムの諸実験においては正常で心理的に健康な人たちの多くが権威者の命令によって、自らの意に反してまで他者へ痛みをあたえることが示された。また権威者への服従という反応は、権威の源となる実体ではなく単なる権威のシンボルによっても起こされる。それは例えば肩書き、服装、装飾品である。
  • 希少性:人は機会を失いかけると、その機会をより価値あるものと見なす。なぜなら手にするものが難しいものはそれだけ貴重なものであることが多いので、機会の希少性がその質を判断する簡易な基準になりうるからだ。この希少性の原理はその機会があらたに希少となった時と、その機会を他者と争っているときに一層強く現れる。

人間の意思決定に関する以上の性質は必ずしも不合理なものではなく、限られた認知リソースを効率的に利用して意思決定に資するためのモジュールであると言ってよい。しかし、問題はこれらの自動的反応が往々にして承諾誘導の実践家にとって影響力を行使する有効な武器となっていることだ。著者は本書においてこれらの簡便反応による利益を保持するため影響力の武器を悪用する者たちに対抗すべきことを述べている。

覚書

人の本当の感情や信念は、言葉からではなく行動から分かります。ある人がどんな人であるかを判断しようとする観察者は、その人の行動を詳しく調べます。
p92

本書の白眉。まさにその通り。行動というのは各種の情動モジュールと理性のせめぎ合いから生まれる意思決定の結果であり、本人の内的欲求が統合され外部に現れたものなのだ。例えば我々が「本当はそうしたかったが、できなかった」と「思った」場合、通常この「本当はそうしたかった」の部分で自分と言うものを判断しがちだ。しかし、実際は「本当はそうしたかった」に対抗し上回った情動、あるいは理性的決定があるからこそ「できなかった」という結果があるのであり、人がどのような人間であるかを判断するに際して参照すべきはこの統合された意思決定の結果である行動なのだ。

(コメディやバラエティで使われる「録音笑い」について述べた上で)録音された反応は何もエレクトロニクスのメディア、エレクトロニクスの時代に限ったことではありません。実際、社会的証明の原理を用いた稚拙な搾取は、最も由緒ある芸術形態の一つであるグランドオペラの歴史のうちに見ることが出来ます。これはサクラと呼ばれる現象で、パリのオペラハウスの常連サウトンとポーチェが一八二〇年に始めたと言われています。彼らは単なるオペラの常連というばかりではなく、拍手喝采が売り物のビジネスマンだったのです。
p187

トリビア。他にも本書には資料としてサクラ請け負いの新聞広告が紹介されており興味深い。

ローボール・テクニック:まず最初に買い手から何かを買うという決定を引き出すために有利な購買条件を掲示し、買い手から実際に買うという言質を取った上でもともとあった有利な購買条件を取り除くこと。
p117

雑感

これはもう社会人必読の書と言っていいと思う。ビジネス・コミュニケーションのハウツーものであるのみならず、人間の意思決定に関するバイアスについて詳細に論じた、言わば心理学における理論と応用の架け橋。実際の対人コミュニケーションにおいて直接的に役立つ学術書という珍しい?代物。
心理学実験と社会事例などの実例が抱負に挙げられていることが本書の強みだが、このような心理的モジュールがなぜ存在するのかの説明が今の時代としては中途半端かも。つまり理論的基礎の不在というか、ややアドホックという印象。実用書としては全く問題ないのだが、このあたり進化心理学あたりで有効な説明はたくさんあると思う。いずれにせよコミュニケーションや心の問題について科学がなにかを言える時代が来たのは感慨深いものがある。