「遠野物語・山の人生」柳田国男(岩波文庫)
- 作者: 柳田国男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1976/04/16
- メディア: 文庫
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覚書
マヨイガ:ある種の桃源郷。山の奥深くに迷い込んだときに現れるとされる大きな屋敷で、家畜が多く飼われ、花が咲き乱れていることが特徴。食事の用意がされていたり、湯が沸かされていたりと、人の居る形跡はあるが実際には誰もいない。屋敷の中にある什器を持ち出して中に穀物などを入れるといくら取り出しても無くならないとされ、ある家が栄えたことの原因とされることが多い模様。
室町時代の中頃には、若狭の国から年齢八百歳と言う尼が京都へ出てきた。また江戸期の終わりに近くなってからも、筑前の海岸に生まれた女で長命して二十幾人の亭主を取り替えたという者が津軽方面に出現した。その長命に証人は無かったが両人ながら古いことを知ってよく語ったので聴く人はこれを疑うことができなかった。ただしその話は申し合わせたように源平の合戦、義経・弁慶の行動などの外には出なかった。それからまた常陸坊海尊の仙人になったのだという人が東北の各地には住んでいた。もちろん義経の事績、ことに屋島・壇ノ浦・高舘等、『義経記』や『盛衰記』に書いてあることをあの書をそらで読む程度に知っていたので、まったくそのために当時彼が真の常陸坊なることを一人として信用せざる者はなかったのである。
pp134-135
うわあ、ありがちだ(笑。今はこの手の詐欺でやりにくくなっただろうけど、未だに偽有栖川宮結婚披露パーティー事件*2みたいなこともあるしねえ。
近頃新聞に毎々出てくるごとく、医者の少しく首を捻るような病人は、家族や親類がすぐに狐憑きにしてしまう風が、地方によってはまだ盛んであるが、なんぼ愚夫愚婦でも理由もなしにそんな重大な断定をするはずがない。大抵の場合には今までも似たような先例があるから、もしか例のではないかと、以心伝心に内々一同が警戒していると、果たせるかな今日は昨日よりも、一層病人の挙動が疑わしくなり、まず食物の好みの小豆飯・油揚げから、次には手つき目つきや横着なそぶりとなり、此方でも「こんちきしょう」などというまでに激昂するころは、本人もまた堂々と何山の稲荷だと、名を名乗るほどに進んでくるので要するに双方の相持ちで、もしこれを精神病の一つとするならば、患者はけっして病人一人ではないのだ。狸の旅装のごときも多勢で寄ってたかって、化けたと自ら信ぜずにはおられぬように逆にただの坊主を誘導した者かもしれぬ。
pp150-151
こういう視点は柳田民俗学では結構出てくるのかね。京極夏彦の元ネタという趣き。
上古以来の民間の信仰においては、神隠しはまた一つの肝要なる例会との交通方法であって、我々の無窮に対する考え方は、終始この手続きを通して進化してきたものであった。書物からの学問がようやく盛んなるにつれて、この方面は不当に馬鹿にせられた。そうして何が故に今なお我々の村の生活に、こんな風習が遣っていたのかを、説明することすらもできなくなろうとしている。それが自分のこの書物を書いてみたくなった理由である。
p151
ちと寂しげですな。まあわざわざ保存運動とかに走る必要もないが*3記録しておくのはいいことです。はい。
大和吉野、大峰山下の五鬼:『前鬼後鬼とも書いて役の行者の二人の侍者の子孫といい、従って御善鬼様などと称して、これを崇拝した地方もありました。』
p279