「遠野物語・山の人生」柳田国男(岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

概要

民俗学者柳田国男の代表的著作。陸中*1遠野郷に伝わる口碑をまとめた「遠野物語」と、山人や山男など各地に伝わる山に住む怪奇な存在に関する論考「山の人生」を一冊にまとめたもの。

覚書

マヨイガ:ある種の桃源郷。山の奥深くに迷い込んだときに現れるとされる大きな屋敷で、家畜が多く飼われ、花が咲き乱れていることが特徴。食事の用意がされていたり、湯が沸かされていたりと、人の居る形跡はあるが実際には誰もいない。屋敷の中にある什器を持ち出して中に穀物などを入れるといくら取り出しても無くならないとされ、ある家が栄えたことの原因とされることが多い模様。

室町時代の中頃には、若狭の国から年齢八百歳と言う尼が京都へ出てきた。また江戸期の終わりに近くなってからも、筑前の海岸に生まれた女で長命して二十幾人の亭主を取り替えたという者が津軽方面に出現した。その長命に証人は無かったが両人ながら古いことを知ってよく語ったので聴く人はこれを疑うことができなかった。ただしその話は申し合わせたように源平の合戦、義経・弁慶の行動などの外には出なかった。それからまた常陸海尊の仙人になったのだという人が東北の各地には住んでいた。もちろん義経の事績、ことに屋島・壇ノ浦・高舘等、『義経記』や『盛衰記』に書いてあることをあの書をそらで読む程度に知っていたので、まったくそのために当時彼が真の常陸坊なることを一人として信用せざる者はなかったのである。
pp134-135

うわあ、ありがちだ(笑。今はこの手の詐欺でやりにくくなっただろうけど、未だに偽有栖川宮結婚披露パーティー事件*2みたいなこともあるしねえ。

近頃新聞に毎々出てくるごとく、医者の少しく首を捻るような病人は、家族や親類がすぐに狐憑きにしてしまう風が、地方によってはまだ盛んであるが、なんぼ愚夫愚婦でも理由もなしにそんな重大な断定をするはずがない。大抵の場合には今までも似たような先例があるから、もしか例のではないかと、以心伝心に内々一同が警戒していると、果たせるかな今日は昨日よりも、一層病人の挙動が疑わしくなり、まず食物の好みの小豆飯・油揚げから、次には手つき目つきや横着なそぶりとなり、此方でも「こんちきしょう」などというまでに激昂するころは、本人もまた堂々と何山の稲荷だと、名を名乗るほどに進んでくるので要するに双方の相持ちで、もしこれを精神病の一つとするならば、患者はけっして病人一人ではないのだ。狸の旅装のごときも多勢で寄ってたかって、化けたと自ら信ぜずにはおられぬように逆にただの坊主を誘導した者かもしれぬ。
pp150-151

こういう視点は柳田民俗学では結構出てくるのかね。京極夏彦の元ネタという趣き。

上古以来の民間の信仰においては、神隠しはまた一つの肝要なる例会との交通方法であって、我々の無窮に対する考え方は、終始この手続きを通して進化してきたものであった。書物からの学問がようやく盛んなるにつれて、この方面は不当に馬鹿にせられた。そうして何が故に今なお我々の村の生活に、こんな風習が遣っていたのかを、説明することすらもできなくなろうとしている。それが自分のこの書物を書いてみたくなった理由である。
p151

ちと寂しげですな。まあわざわざ保存運動とかに走る必要もないが*3記録しておくのはいいことです。はい。

大和吉野、大峰山下の五鬼:『前鬼後鬼とも書いて役の行者の二人の侍者の子孫といい、従って御善鬼様などと称して、これを崇拝した地方もありました。』
p279

雑感

とりあえず民俗学といえば柳田だろうと言うことで押さえておいた一冊。既に様々なフィクションで使われている怪異の元ネタがいろいろ出てきて面白い。*4ただ肝心の論考部分に関してはなんだかぼんやりした筆致で内容が無いような感じ。こ、これが日本的美文ってやつなのかー。かと言ってひたすらクールに言い伝えやら伝説やらをまとめただけというわけでもないらしくどうにもこうにも。わりと面白い視点は結構あるが、ふた昔ぐらい前に絶賛されたのはなんでですかね、という感想。

*1:今の岩手・秋田

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/有栖川宮結婚披露パーティー事件

*3:だってこれって特定の時代と生活に依存した文化だろうから。

*4:例えば上に書いた八百歳の尼さんって八百比丘尼のことでしょ。前鬼後鬼は言わずもがな。