悩むのは一日十分まででお願いします。

あー、やっぱりそうなんだよ。脳内で何千何万回シミュレートしたってそれは所詮シミュレーションであって、経験ではないんだよ、という残酷かつ当然かつ一縷の望みの入り交じった考えを持った。なんか、そうできたときってのはそうできるようになっているからそうできたのであって、そうできなかったってのは偶然でなくて必然なんです。でも、この必然をほんの少し動かすところに人間の一番の栄光みたいなもんがあったりするのではとか最近思った。というか身にしみた。なんか紙一重のところの輝きみたいな。徴表の裏に隠されたアーキテクチャに触れ、世界を動かすのだイィィィヤッホウ!みたいな。そこには人間存在の莫大なエネルギーが詰まっているうううう。言ってることが電波系みたいですね。
で、そういう意味では某所での一言がすげかった。引き蘢りだからトラバとかあえてしないけど、つまりこれね。5月あたりのfinalventyさんのコメント。

finalvent
『nonekoさん、ども。そう思う。私など大した人生でもなく、一歩も歩めんとか「思う」とき、とりあえずなんか一歩前に進むと、一歩前に進むのだと思う。馬鹿なこと言っているようだけど、一歩前に進むには理屈じゃなくても、一歩前に進むと一歩前に進む。ま、盲目的に進むのはダメだけど。でも、頭で考えて動けんときは、一歩進むのが解決だったりする。』

ズバリ。同時期に全く同じこと考えていたのでびっくりした。「一歩前に進むと一歩前に進む」んですぜ。それは現実なのだ。現実と闘うには現実をもってするのが最上の策なのだ。そして、積み重なった現実というのはもっとも強力な武器となるのだろう。そうできた、というのはまたそうできるということでもある。おぉ、これは帰納ではないか!!
そして、一歩進むと今また新しい次元の悩みだ。さて、どうするかな。

追記:あー、あれだ。これは認識と行為の話だな。なんか三島の「金閣寺」思い出したので、ちょっと確認してみたら世界を変えるのは認識だと言ったのが柏木で、行為だと言ったのは主人公だった。なぜか、この二人の立場を逆にして覚えていた。なんでだろ。そのときは柏木の方に説得力を感じてからかな。

さらに追記:finalventyは人生語らせると凄いけど、根本的に神秘主義者っぽいから、たまにオカルトな発言するよね。