胸の奥のそのまた奥にぽっかりと穴があいている。ひどい話もあったものだ。穴は何もかも吸い込んでしまう気らしい。はじめに肺が消えた。息苦しい。次に胃が消えた。腹が減らぬ。肝臓も消えた。毒がたまる。膵臓も消えた。十二指腸に、小腸大腸、それに脾臓、腎臓が消える。ずるずると音を立てて心臓が消えたとき、わたくしは死んでいるのに気がついた。じきに脳髄が消えて、何もわからなくなってしまうだろう。嗚呼このような苦しみに因果があるとするならば、それはきっとわたくしが生まれたことに相違ない。
と、書いているうちに穴だけが残った。穴の主張。穴はわたくしの体を人質に何かを要求しているようでございます。それはなんだと訊いてみましても、穴の話は一向に要領を得ないのでございます。案ずるに、これはひょっとすると大問題かも知れぬ。このまま、体無くして生きていくことなどできるはずもございませぬ。なんとか、穴から体を取り返さねばならぬ。取り返さねばならぬといえども、取り返し方が分からぬ。穴。お前は何を望むのか。いえいえ、何をおっしゃいます。それはあなたがいちばん良くご存知。穴の台詞でございます。わたくしの望むもの。わたくしの望まないもの。分かるはずもございませぬ。何故かと問われれば、望みは体から生まれ出ずるもの。体をとられたわたくしに望みの分かるはずもございませぬ。
いえいえ、記憶が混乱しておりました。体がなくなったのは穴のせいではございませぬ。もうずいぶん前からわたくしには体が無かったはずでございます。そして、手を見る。脚を見る。体はここにございます。わたくしに体があることを気づかせたのは一体なんであったのか。穴の飲み込んだものは一体なんであったのか。
それは心。
それでは、穴とはなんであったのか。

ここに沈黙がひとつ。