「タクシードライバー」マーティン・スコセッシ監督/ロバート・デニーロ主演

今更だけど、これはいつか見ないといけないな、と思いつつもなかなか機会が無かった代物。マーティン・スコセッシロバート・デニーロのコンビによるレイジング・ブルと並ぶ傑作。
ベトナムからの帰還兵トラビスは夜勤のタクシー・ドライバーとして働く26歳不眠症プチヒッキー。ニューヨークの汚らしい町並みと自らの境遇にフラストレーションをを溜め込む日常を送っていた彼だったが、ある日、選挙運動を手伝うインテリ系女子大生?ベツィに一目惚れ。デートに誘いだすことに成功するも、こともあろうに連れ込んだのがポルノ映画館。当然ぶち切れたベツィとは絶交状態に。徐々に精神状態が危うくなっていくトラビスはある計画を思いつく。体を鍛え、髪型をモヒカンにし、銃を大量に買い込むなか、ロウ・ティーンの売春婦アイリスと出会い、その境遇に世界の不条理を見たトラビスは…というのが、あらすじ。
僕はそもそも映画をあまり見ないのだけど、これは久々のヒット。引き蘢り気質の人は見て損は無いと思う。特にロバート・デニーロ演じるトラビスが段々と狂気に陥っていく過程の描写がリアルで怖い。狭苦しい部屋の中ジリジリと迫る焦燥感が見事に表現されております。特に部屋のなかでぶつぶつ独り言をいいながら銃を構えるシーンは圧巻。これはまさにアレですな。毒男。いきなり「びっくりするほどユートピア」をやりだしても全く違和感がないと思う。びっくりするほど自然にこなすと思う。ロバート・デニーロが。知らないけど。
それにしても古今東西の各表現形式の名作って描いてることが同じだとはしみじみ思った次第。つまり、「力が足りない」ことを描くところに芸術の領域があるというか。まあそれだけじゃないんだけど、ここでは悲劇の話ということで。*1人間である以上、低俗なことにせよ高尚なことにせよなんらかの欲求っていう行動のインセンティブに振り回されるのであって、それが充足できないところに悲劇が生まれるんだよね。力と願いの落差において詩が生まれて、画が出来る。ついでに道徳なんかも生まれる。とかくこの世は住みにくい、と。
以下少しだけネタバレなので別枠。

最近人間というのは結局のところなるようにしかならないのだろうか、などと思い詰めていたところだったので最後のオチには結構ホッとした感が無いではない。今いる場所が絶対ではないんだという希望を感じましたです。あれをリアルというべきかファンタジーというべきかは分からないけどね。ただ、ネタバレが過ぎるからあんまり言わないけどあのクライマックスのところで終わらせないのを見ると、*2マーティン・スコセッシって意外に優しいのかなという気はした。

ところで70年代ニューヨークのファッションて今見てもいいね。途中で一瞬出てきた黒スーツ赤シャツの黒人なんて最高にクールだ。あ、あと当時何歳なのか知らないけどジョディ・フォスターに一票。入れ込んでレーガンを狙撃しだす奴が出てくるのもうなずける、というか。

*1:ここらへんでアリストテレスとかの話が出来ればいいんだけど、残念ながらそこまで教養無いもので。ちょっと調べたらミメーシスとかいう面白い概念があるようだ。芸術を人間行動の劇的な部分を抽象化したものとする私見と合致するような気がしないでもなかったり…。うーん。これは「詩学」とかも読まなければいかんね。

*2:いや、実際そういうオチもありだとは思う。あれで終わられたらすげえ落ち込むというだけで。